8月8日③
わたしは恵まれていたのだと思う。
高卒で働く子がいるのは知っていたけれども、自分の子は進学するものだと思っていた。息子が就職すると言ったときに、具体的なイメージが全く浮かばなかった。
当然、進学資金は確保していた。(医学部とか芸大とか言われたら、全学年分は足りないけど)
と書くと、就職に猛反対するエセインテリの親かと思われるかもしれないが、本人の意思であればと反対もしなかった。
大学じゃなくても、なんらかの学校に行った方がいいのでは?とは勧めたけれども。
わたし自身、親が大嫌いで、とにかく早く親の世話にならずに生きられるようになりたいと、強く思っていたし、悲しいけれども、彼もまた、同じような思いを持つのかももしれないと思った。
息子の遺書と思われるノートは、誰のことも責めていなかった。
同級生も、学校も、家族も、親も。
彼はひたすら、自分が嫌いなようだった。
公立高に落ちたら死のうと思っていたとも書かれていた。
そんなに前から彼の身近に死があったなんて、知らなかった。
8月8日については、キリがいいのでその日にしようとしたとある。
8時8分に実行したかったが、妹に話しかけられたかなにかで、できなかったらしい。
下の娘(彼の妹)によれば、彼は「行ってくる」と声を掛け、玄関を出た。鍵もかけた。
鞄を持っていないのを少し不審に感じたが、駐輪場に自転車でも見に行くのかなと思い直したという。
そのまま外廊下を端まで進み、胸元あたりまであるフェンスを乗り越えて、飛び降りた。
その時のことは、全く覚えていないと彼は言っている。
彼の妹は、兄が外出して程なくインターフォンが鳴らされ、鍵と携帯だけ持って、とりあえず来てと言われた。
そして兄と対面した。